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レジデンス連携2013.5.8

アーティスト・イン・レジデンスの現在 15 社会的流動性の指標としてのAIR(レズ・アルティス総会2012東京大会レビュー[2])

光岡寿郎(東京経済大学専任講師)

今回は、アーティスト・イン・レジデンス(以降AIR)の国際会議である「レズ・アルティス」を素材に、AIRが位置するもうひとつの社会的文脈について考えてみたい。前半では僕が参加したセッションの内容を紹介し、そのうえで後半では「社会的流動性」という観点からAIRの可能性を検討する★1

事業評価の難しさ

28日夕方のセッション「セッション14:創造基盤における文化政策」では、三名の登壇者が招かれていた。一人目が、世界各国の芸術振興機関を結ぶIFACCA(International Federation of Arts Councils and Culture Agencies)の事務局長であるサラ・ガードナー氏。二人目が、アジア−ヨーロッパ間の文化交流の促進に寄与するASEF(Asia-Europe Foundation)文化交流部門副ディレクター代理のアヌパマ・シュカール氏。そして最後に、文化庁長官官房国際課国際文化交流室長の中野潤也氏である。限られた時間のなかで、登壇者からはそれぞれ15分の発表がなされた。
最初にガードナー氏からは、IFACCAの概要と、同組織が実施してきた調査に関する発表がなされた。IFACCAは、各国のアーツ・カウンシルに代表される芸術振興機関のグローバルなネットワーク形成を目的に2000年12月に発足した組織である。現在72の国家的機関、及び47のそれに準ずる機関によって構成されている。そのうえで、IFACCAの主要な活動のひとつである、「WorldCP Project」へと言及していた★2。基本的には、各国の文化政策を詳細にドキュメンテーションし、共通の情報基盤として利用するプロジェクトだ。すでにヨーロッパの42カ国を網羅し、現在、韓国やシンガポールといったアジア各国の文化政策のプロファイリングを実施しているとのこと。その後、IFACCAの調査の詳細が手短に紹介されていたが、これは後述のシュカール氏の発表とも共通して、細かな内容について本稿で繰り返すことにあまり意味はないだろう。というのも、IFACCA、ASEFともに、調査結果を自身のサイトで公開しているからで、詳細にご関心をお持ちの読者は、直接各組織のウェブサイトをご覧いただきたい★3。そのなかでも注目しておきたいのは、結論部でのAIR助成事業の評価の困難さについての指摘だ。彼女によれば、AIRの評価で難しいのはその「影響力(impact)」と影響が顕在化する「時間差(time lag)」の問題なのだという。このセッションは「事業評価」を主旨としたものではないけれども、今回のレズ・アルティス全体を貫くテーマのひとつだったこともあり、後述したい。


WorldCPウェブサイト URL=http://www.worldcp.org/index.php

ガードナー氏は、オーストラリア・カウンシル(Australia Council for the Arts)の出身ということもあり、比較的国単位の支援に注目していたのに対して、二人目のシュカール氏は、「ローカル/グローバル」な観点から発表がなされた。彼女は、アジア−ヨーロッパ基金の文化交流部門に所属しているが、現在の課題は、(1)両者の文化交流を進めるうえで誰もがアクセスできる包括的な情報が欠如しているため、このギャップを埋めること。加えて、(2)両者間のアーティスト(特にアジア)の流動性(mobility)を向上させることだと指摘する。彼女が紹介した調査の対象はアジア・ヨーロッパ間の文化交流事業だが、そこでは、アジアを含むすべての国のアーティストに対して開かれた助成と、アジアのアーティストに限定した助成の二つのカテゴリーに分けて議論が進められた。まず前者においては、公的助成(国家レベル、国家間レベル)では、AIRとアーティストに対する奨学金が最上位を占める一方で、私的助成(財団やNPOなど)の場合には、プロジェクト単位の助成が多く、前者に比してより中長期的な性格を持つAIRプログラムに対する助成は二番目に留まっていた。また、その詳細を紹介するなかでは、国単位、都市単位の助成両者において、国家間のアンバランスが生じている様子が明らかにされた。続いてアジアに限定した助成に関しては、公的助成に関しては前者と同様の傾向が見られたのに対して、私的助成に関してはアメリカの占める比率が高いことなどが指摘された。結論でも、再度AIR助成における予算、機会の両面にわたる国家間の不均等な状況への言及がなされたのが印象的だった。特にアジアにおいては、インドや中国でもその事例は増加しつつあるものの、依然としてその機会は韓国、日本に限定される傾向が強いとのことだった★4
最後の登壇者が文化庁の中野潤也氏だ。その内容は、上述の調査に基づいた発表というよりは、文化庁のAIR助成に対するヴィジョンを提示するというものだ。冒頭では、文化庁の政策の二つの方向性に言及した。ひとつは、商業ベースで持続的に育てることが難しい芸術を政府は支援するべきであり、この一環としてAIRを考えていくことができるという点。二点目は、(国際)文化交流の促進という枠組みにおけるAIRの位置づけだ。その具体的な方策として、アートを育てる土壌としてのキャパシティの拡大(capacity building)と、「文化的/創造的都市」の創出の二点を紹介していた。後者に関しては、2014年から中韓日の三カ国間で東アジアに文化的都市の形成を目指すプロジェクトが進行中だという。そのうえでAIRに関しては、2011年から文化庁として支援を開始しており、現在24のプログラムを支援しているとのこと。同プログラムは5年間の時限措置であり、その後の評価を通じて継続の是非を判断するとのことだった。政府がAIRを支援する目的に関しては、まず日本文化の経験を通して生まれた新たな芸術が、世界の芸術の発展に対しても寄与する可能性。第二に、国際的に活躍するアーティストと国内のアーティストの協業のなかで、日本のアートシーンにも良い循環を産み出すこと。第三に、レジデンスプログラムを通じたローカル・コミュニティの活性化などが挙げられていた。中野氏もまた、結論部では「AIRの波及効果とその評価」の難しさに触れていた。加えて、政府の担当者としてAIRの意義を伝えていくための広報の重要性も強調していた。

社会的流動性という評価軸

紙幅から本稿では発表後の質疑の内容に関しては割愛させていただいて、当セッションを振り返ることにしたい。まず言えるのは、その「創造基盤と文化政策」という主旨に照らせば、いささか肩透かしの内容であったということだ。確かに三者とも、現在のAIRを取り巻く環境について考えていくうえでの素材は提供できていたし、そもそも三者に共通してAIRを支援していくうえでの包括的な情報基盤の欠如という問題意識があったことを考慮すれば、当セッションに一定の評価を与えるべきなのかもしれない。
一方で、上述のデータを生かした方策にまでは議論が至らなかった点は、「各国AIR支援の現況とその課題」をテーマとしたわけではないセッションとしては不十分だったのではないか。例えば、今回の登壇者の構成からすれば、ガードナー氏、シュカール氏が提供した具体的なデータを元に、中野氏と日本においてどのような具体策を採用することができるかという点にまで議論を拡げることで、より具体的な成果を得ることができたはずである。
その意味でも、むしろ当セッションが提起した重要な論点は、シュカール氏が強調したアーティストの「流動性(mobility)」の問題だったと考えている。つまり、AIRを「アート/モノ」ではなく「アーティスト/ヒト」のグローバルな移動を支える制度として理解するという観点だ。僕自身、文化政策というよりは元々「芸術文化」の社会学に親しいこともあり、これまで狭義の「文化政策」や「芸術文化の支援」に対しては、やや批判的な立場を取ってきた。特に公的助成に関しては、現在の日本の税制を前提とする限り、「教育」や「医療」といったよりコンセンサスを得やすいテーマに対して、「文化」、とりわけ「芸術(今回に関してはAIR)」に優先的に税金を投入することに対しての社会的な了解をとりつけることが困難だと感じているからである。そして、それは僕個人が「芸術文化」に社会的意義を認めていることとは議論の水準が異なる。
けれども、シュカール氏が言及していたような「非欧米圏」の「若い≒まだ実績をともなわない」「アーティスト」の流動性という問題は、むしろ「芸術文化」を離れ「現代社会」が抱える問題の枠組みにおいて、「AIR」を評価する道筋をつけるように感じたのである。というのも、近代以降、ヒトの流動性とは、ある個人に社会的に課される権力の重層的な構造が具現化する側面のひとつであり続けたからだ。例えば、欧米先進国のビジネスマンや研究者が数多くの国を自由に行き来できる一方で、アジアのイスラム教国の出稼ぎ労働者などには極めて強い入国制限が依然として各国で課されている。ここには、エスニシティ、宗教、階級といった個々人が背負わざるを得ない社会的記号が強く反映されており、基本的には社会的マイノリティの記号を負った人々の流動性は制限されてきた★5。僕自身、こういう語り口で「アジアのアーティスト」を「社会的マイノリティ」としてステレオタイプ化したくはないのだけれども、シュカール氏も指摘していたように、確かに彼らの社会的位置づけは相対的には低く、欧米のキュレーターやアーティストに比して移動が制限されている。だとすれば、もしアジアのアーティストも対象としたAIRをある国や都市が数多く提供できるとすれば、それは、当該社会の「流動性に対する寛容さ」の指標として評価することができないだろうか。
というのも、ガードナー氏や中野氏の懸念のとおり、「文化事業」としてAIRの評価、社会的価値を浸透させることは相当困難だからである。国際展の評価もままならない現在、より小規模のコミュニティベースで運営されるAIRでは、少なくともその経済的評価を明らかにすることは覚束ない。だとすれば、AIRそのものをある社会の社会的マイノリティに対する開放性の指標として評価する可能性を強調してもいいのではないか。特に、看護師といった一部の専門職以外に対しては、いまだ厳しい移民政策をとる日本のような国にとっては、芸術文化領域を手始めにより多くの文化的背景を持った人々を受入れ、彼/彼女らの作品や地域との協業をその成果として、芸術文化以外への諸領域における社会的流動性への理解を広めるというのであれば、省庁におけるお題目としても理解が得やすいはずである。そして、このような社会的意味付けの転換こそが、狭義の「文化政策」から、広義の「文化政策」の創造基盤として「AIR」を位置づけていくうえでの、きっかけになるのではと思うのである。

★1──レズ・アルティス総会2012東京大会「セッション14:創造基盤における文化政策」(東京ウィメンズプラザ、2012年10月27日、17:00-18:00) URL=http://www.resartis2012tokyo.com/
★2──文化政策に関する国際的データベース「WorldCP: International Database of Cultural Policies」 URL=http://www.worldcp.org/index.php
★3──URLは以下。
IFACCAの公式サイト URL=http://www.ifacca.org/
ASEFの公式サイト URL=http://www.asef.org/
★4──「アジアにおける国際文化交流の助成状況──在外派遣助成ガイドの刊行」 URL=http://culture360.org/asef-news/mobility/
★5──著者は、本質的に「マイノリティ」が存在していると考えるものではないが、宗教、人種、職業などの社会的レッテルを貼られることで移動を制限されている人々の集団が存在する事実を否定することも難しい。このような集団を指示するために、本稿では便宜的に「社会的マイノリティ」という用語を借りている。したがって、ここではAIRやAIRに従事する方自体を「マイノリティ」として理解しているわけではないことも強調しておく。

みつおか・としろう
1978年生まれ。メディア研究、ミュージアム研究。東京経済大学専任講師。論文=「ミュージアム・スタディーズにおけるメディア論の可能性」「なぜミュージアムでメディア研究か?」ほか。共訳=『言葉と建築──語彙体系としてのモダニズム』(鹿島出版会、2005)。

[2013年4月]

関連論考:AIR_J>Article>
レズ・アルティス総会2012東京大会レビュー[1]鷲田めるろ「マイクロ・レジデンスの可能性」
レズ・アルティス総会2012東京大会レビュー[3]津田道子「経験という貢献──『なぜレジデンスするのか?』」