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AIRと私 02:秋吉台国際芸術村で学んだことと創作活動


ヘイニ・ヌカリ(パフォーマー)

2007年、私は秋吉台国際芸術村(AIAV)のアーティスト・イン・レジデンス・プログラム「trans_2006-2007」へ招へいされました。日本へ行くのは初めてであり、私は新天地で過ごす70日間をたいへん楽しみにしていました。2007年は、さまざまな国から来た3人のアーティストたちとともに、各自プロジェクトに取り組み、その後も、2008年、2010年、2011年にフェロー・アーティストとしてAIAVに戻りました。レジデンス・プログラムの経験を通じて出会った日本文化や自然、そして日本の人々が、私の創作活動における貴重かつ持続的な、インスピレーションの源泉となっています。
私の作品制作では、動くものや声、そして音を使います。また、作曲や振り付けを考えたり、楽器の演奏もします。人の身体の可能性や、その世界や自然および人間との関わりを探ることが、私の仕事です。すなわち、外国へ行き、異文化のなかで時を過ごすことそのものが、自分の作品にとって重要な一部なのです。私は、人間の身体表現の可能性を探るなかで、地理的・文化的な背景も探究しています。人と環境との関わり合いが、いかに私たちの表現方法の創造性に影響するかに高い関心を寄せているのです。また、アートを経験し創造することは、世界のすべての人々の幸せに寄与することだと信じています。

日本からのインスピレーション

私はつねに日本に魅了されていたので、2007年のAIAVの長期レジデンス・プログラムにぜひ応募したいと考えました。当時、私は新たな芸術性の高い刺激を求めており、ひとつのプロジェクトのみに集中し、それをコミュニティと共有できる創作環境を夢見ていました。また、ヨーロッパや、大都市での生活から離れたいと切望していた時期でもありました。多くの意味で、AIAVは私の期待をはるかに超え、その後の数年にわたって私の人生の重要な一部となったのです。
日本に滞在しているあいだは、常に多くのインスピレーションを受けます。いつもなにかを観察し、学んでいるので、私の意識は常に鋭敏になっています。日本の人々はお互いに対し非常に気を使います。他者に対する直感的な思いやりや、お互いの身体的・精神的な状況を感じとる様子を見るたびに、私は穏やかな気持ちになり、尊敬の念を覚えます。日本人の社会的行動は、まるですばらしい振り付けのようで、非常に真剣であり遊び心にも満ちています。人々はとても官能的で、人生の隅々まで楽しむ術を知っています。また、日本人はフィンランド人よりもシャイのようで、それが日本という国をより共感の持てる国にしていると思います。日本にいるあいだは、日本人のやり方になるべく適応することが自然なことのように感じました。
私は滞在期間中、AIAVやその周辺地域、また町の人々とかけがえのない友人関係を築きました。ある友人は、私がヨーロッパと日本の「草の根」大使だねと言ってくださいました。本当にそうかもしれません。人と人とがお互い心を開いて自然に触れ合うには、共に一緒の時間を過ごし、食べ物を分け合い、歌って遊ぶことが必要だと私は考えています。

AIAVにおけるプロジェクトの継続

私のAIAVにおける最初のプロジェクトは、日本語と私の母国語であるフィンランド語の共通点について、アーティストの観点から研究を行なうことでした。私は日本語の勉強をしたことはありませんでしたが、以前から特別な思い入れのある言語でした。AIAVに到着後、私は近所に住む日本語教師、田原利江子先生から日本語を個人的に習い始めました。田原さんは、日本語の基礎レベルの講師として素晴らしい先生であるだけでなく、擬音語の使い方など、日本語の話し言葉の創造性や面白さを私に紹介してくださいました。日本語とフィンランド語は、地理的な距離や異なる文法構造にもかかわらず、非常に似通った言葉のリズム、母音への志向、そしてやわらかい音を持っています。またこの二つの言語をあわせるととても素敵な韻を踏みます。私は歌ったり朗読したりするときの言葉の使い方について、特に興味を持っていたため、日本語とフィンランド語を楽しく混ぜ合わせてみました。私は直感的で詩的な言葉、「フィニッポン語」をつくりました(この名称は、2007年にAIAVのキュレーターを務めた原田真千子さんが付けてくれました)。新しい言語のアイディアそのものよりも、意味を連想して思いを巡らせることのほうに意味がありました。
言葉の研究と関連して、私は日本の豊かな民俗文化、特に動物に関する物語や歌、踊りについて、そしてそれらの神道における役割について学びたいと望んでいました。フォークソングに興味を持っていたので、秋芳町の近隣の村にあるおばあちゃんたちの合唱団「いきいきレディース」を紹介してもらいました。おばあちゃんたちは私に歌を何曲か教え、老人ホームと村祭りで一緒に歌おうと誘ってくれました。私は言葉と身体を使って歌うパフォーマンス「ニコニコ・マァマァ」を創作しました。私が日本を訪れるたびに、さらに多くのフィニッポン語が生まれています。

秋芳町の合唱団「いきいきレディース」と練習するヘイニ・ヌカリ(2007年)

秋芳町の合唱団「いきいきレディース」と練習するヘイニ・ヌカリ(2007年)

2008年、私はAIAVを再び訪れ、AIAVの10周年記念プロジェクトである「trails_小径」の一部として、視覚・音響プロジェクト「ナカヘ キク ソトヘ ミル」(”Insight Out Here To See”)に取り掛かりました。このプロジェクトは、前年にAIAVに私を訪ねてきた写真家のヨーク・ファーレンカンプとのコラボレーションでした。私たちはいろいろな意味で、2007年に生まれたこのアイディアをずっと温めてきました。私たちは、日本の個人のお宅に招待されたときに経験した、視覚的・音響的な雰囲気の生き生きとした素晴らしさ、特にキッチンに非常に心を動かされ、インスピレーションを受けました。このときにお会いした皆さんと再会し、再びその方のお宅を訪問させて頂きました。幸運にも、そのご家族との真の友情から、たびたび招待してもらえました。お宅に訪問中には、自然な雰囲気を壊さないよう注意しながら、大判カメラとサウンド・レコーダーを使って撮影を行ないました。また、外にある公共空間に集まる人々のエネルギーがその場を形成している様も発見しました。このような家や公共空間におけるフィールド・レコーディングをもとにして、サウンドトラックをつくりました。写真とサウンドトラックが融合し、撮影されたシーンから強烈な記憶感覚がよみがえりました。
AIAVの展示の後、このプロジェクトはベルリンの写真ギャラリーに展示されました。多くのヨーロッパの人々がこの作品を見て、聞いて感動し、驚いていました。この作品は、日本の都会的なハイテク文化という典型的なイメージを、いい意味で壊すことができたようです。私たちが作品のなかで表現したことは、田舎で生き生きと息づく日本人の生活の、隠された私的な瞬間でした。

2010年には、私は日本を旅行するあいだに、秋吉台に2週間滞在しました。このレジデンス期間中に、私は「いきいきレディース」のためにフィニッポン語で歌をつくりました(「いきいきの歌」)。そして、日本の演劇と音楽文化から影響を受けたソロパフォーマンスを披露しました。この滞在は、私のAIAVの滞在期間のなかではもっとも短いものでしたが、「いきいきレディース」との関係からインスピレーションを受けた、初めての視覚・音響プロジェクトをさらに展開するための準備期間として、非常に意義深いものでした。

現在も日本語のリサーチを続け、新作パフォーマンス『KOOMORI』の発表にAIAVを再訪(2010年)

現在も日本語のリサーチを続け、新作パフォーマンス『KOOMORI』の発表にAIAVを再訪(2010年)

「いきあいとしすこ」は、2011年秋に行なわれた、私の妹である写真家、アウラ・ヌカリとのコラボレーションプロジェクトです。私は当時、音の素材については多くのアイディアを持っていましたが、「いきいきレディース」を視覚的に撮影したいとも考えていました。妹は人物像の写真撮影に特別な才能を持っており、自然に彼女を選びました。そしてアウラこそが、AIAVを取り巻く環境により新鮮なスポットライトを当ててくれる映像パートナーだと感じました。主題的には「いきいきレディース」を取り上げましたが、この作品は、歌うことについて、そして姉妹愛や人と人とのコミュニケーション、さらに日本の自然にも焦点を当てていました。展示会では、「いきいきレディース」の写真と音を展示するとともに、AIAVを取り巻く自然のなかで、私たち姉妹が共有した時間から生まれたイメージを融合させました。風景と一体化させ、草や木に物語を語らせました。このプロジェクトは、あらゆる年齢における女性の美しさと、周りの自然との関係への賛辞でした。「いきあいとしすこ」は2012年3月にフィンランドで展示の予定です。

長期にわたり交流を続けている合唱団のために作詞作曲した歌「すすき」を披露(2011年)<br>以上3点、提供=AIAV

長期にわたり交流を続けている合唱団のために作詞作曲した歌「すすき」を披露(2011年)。以上3点、提供=AIAV

地元の人々とのクリエイティヴな交流

レジデンス期間においてもっとも大事なことは、地元の人々との交流でした。秋吉台に住む人々は皆さん、とても気さくでした。彼らの土地に外国人アーティストが滞在していることに好奇心をあらわにするのではなく、私たちの存在を受け入れ尊重してくれました。個人的には、たとえお天気の話やこの時期のサツマイモが美味しいというたわいのない会話であっても、日本語を話せて本当に良かったと感じました(実際には、私は日本の野菜やお漬物が大好きで、その話題をたいへん楽しみました)。一方で、有名な日本の塩漬けピクルスである梅干しを食べる外国人を見て、日本の皆さんは興味津々でした。
コミュニケーションは、地元の鑑賞者にとってだけでなく、アーティスト自身にとっても同様に、大きな価値があるものです。私たちレジデンス・アーティストは通常、いわゆる普通の生活を送る普通の人々に対し、ときおり疎外感を感じながら大都市に住んでいます。この疎外感が芸術作品を、抽象的で意味のないものにしているのかもしれません。少なくとも私にとってのアートは、文化と人々との対話そのものです。このレジデンス期間中に、アーティストたちが地元のお祭りに参加し、小学校、老人ホーム、山口大学といった場所の訪問を通じ、さまざまな人生のステージにある人々と繋がる機会が与えられたことに、たいへん感謝しています。AIAVに住み、作品をつくることによって、自分の芸術活動における意味を修復できたと感じています。

老人ホームでの合唱発表

老人ホームでの合唱発表

AIAVは若干不便な場所にあるため、イベントへの来場が難しいことは事実ですが、毎年活動に参加してくださる誠実な参加者たちがいます。2007年に行なったオープン・スタジオの日には、来てくださった皆さんに向かって、私のパフォーマンス「ニコニコ・マァマァ」の歌を一緒に練習しましょうと誘いました。ちょっとコミカルなフィニッポン語の言葉を、皆さんが心を開いて自然に覚え、簡単に歌いこなす姿に驚き、感動を覚えました。またAIAVでは短期間のワークショップを開催し、参加者の方々に声の出し方と動き方を教えました。このアイディアは、私のパフォーマンスを体験してもらい、自分の身体と声をクリエイティヴに使いこなす方法を紹介したいという発想から生まれました。昨年、「いきいきレディース」の数名を私のワークショップにお招きしました。老若男女を問わず、人々が楽しい動きや歌を楽しむ姿は、非常に美しいものでした。

AIAVおよび周辺での暮らし

アーティストと人々が出会い、時間を共有する機会をAIAVのスタッフたちが精力的につくってくださったことにたいへん感謝しています。特に、素晴らしいキュレーターの方々にお礼を申し上げたいです。彼女らの尽力なしには、私のどのプロジェクトも実現しなかったでしょう。2007年と2008年には原田真千子さんのサポートを受けました。彼女のカリスマ性と地元の人々との良好な関係が、私のプロジェクトにおいて信頼とネットワークをつくるのに大きく役立ちました。2010年と2011年には、たゆまぬサポートをしてくださった塚田純子さんにお世話になりました。多くの希望を叶えてくださいましたが、特に「いきあいとしすこ」の展示の実現に多大なご尽力をいただきました。AIAVでのさまざまな型破りなアートプロジェクトがスムーズに実現される理由は、彼女らの献身が実を結んだ結果だとわかりました。
AIAVは町から遠く離れているので、集中するには完璧な場所です。峡谷に挟まれ、青々した森と穏やかな山に囲まれた近代的な複合ビルは、素晴らしい創作環境を実現しています。ある意味、建築物そのものは、若干この地域には非現実的で大きすぎるきらいはあるものの、風景には見事に溶け込んでいます。昨年、私の妹は外から建物見て、大きなカニに似ていると指摘しました。私たちだけにそう見えるのか、建築家も意図していたのか、おそらく周辺の山肌にカニが生息するからか、などと考えをめぐらせました。音響的には、外側のアーチとメインビルディングの廊下で、素晴らしい響きを聞くことができます。すべての音が明瞭に、ホール効果をともなって聞こえ、時を超えた空間的な感覚を呼び覚まします。私はいつも宿泊棟からスタジオやその周辺に行く途中を楽しみました。

カニを想起させる施設建物

カニを想起させる施設建物

AIAVは、私たちレジデンス・アーティストだけのものではありません。多くの地元アーティストたち、特にミュージシャンたちがスタジオで練習します。ある夜、音楽スタジオが若いミュージシャンたちでいっぱいになり、ヘビーメタルのギター音が夜空に響きました。自然のなかでの不思議な音響効果でしたが、静寂に包まれた空間では歓迎すべき出来事でした。
宿泊棟の住環境はスタイリッシュではあるものの、デザイン性が高すぎて機能的でない家具や、キッチン設備が十分でないことで、あまり快適とは言えませんでした。聞いたところによると、当初のアイディアは隣接したレストランホールで食事を取る予定だったといいます。おそらく、開村当時はうまくいっていたものの、レストランが毎日開店していないので、アーティストたちが共有キッチンで調理し始めたのでしょう。実際に、料理と食事は皆が楽しむ活動なので、キッチン設備はもう少し大きく居心地良いほうが望ましいでしょう。それがいつか実現されることを祈っています。
しかし、この周辺環境全体として考えると、私はこの場所が大好きです。あらゆることがうまくいくようにサポートしてくださる友好的な世話人や清掃員、庭師の方々に囲まれて、居心地の良い時を過ごしました。とりわけ、森を望む自分自身のスタジオを持つということは、たいへん贅沢なことです。なににも邪魔されず、創作活動に集中できます。アーティストのなかには、あまりに場所が孤立していて、暗い夜が長すぎるという言う人もいるかもしれません(そういうときにこそキッチンに集まりたいのですが)。山口市は30分しか離れていないものの、自分で外出するのは簡単ではありません。しかし、レジデンス・アーティストの生活は孤独とは無縁です。AIAVで私が過ごした期間は、常にとても社交的で、毎日のように予期せぬ人からの訪問を受けたり、イベントが開催されたりしました。この経験を通じて、ある種の柔軟性が鍛えられました。この資質は、コミュニティに貢献するアーティストにとっては生活の一部だと私は考えています。人々との出会いは、自分の創造力の血肉となり、アーティストの役割は、社会のなかにあるのだと確信することができました。また、日本の田舎に住んだ経験を通じて、都会だけに住んだ場合よりも、より普通の日本の文化に触れることができたと思います。

自然に囲まれて

私は、日本の自然との強いつながりを感じています。AIAVの裏側には、山へつながる小道があり、山の上にはトンビが舞い、頂上からはこの地域全体の息をのむような素晴らしい風景を楽しむことができます。2007年の滞在期間中、私はほぼ毎日この道を登りました。美しい古い竹林を通るこの道は、初日から私を魅了しました。AIAVを訪れるたびに私が最初にすることは、この竹林に挨拶することです。この竹林の光と音から、私は何度もインスピレーションを受けました。2011年、私の最後のレジデンス期間に、妹とこの素晴らしさを共有し、一緒に竹林のなかで一連の写真撮影と音の録音を行ないました。
AIAVのようなアーティストの居住施設の存在意義は、ますます高まっています。目の前のプロジェクトに完全に集中でき、AIAVのなかや周辺での生活に溶け込み、人々に支えられていると感じた経験は、私にとって「芸術的な癒しの時間」でした。この時の経験は、その後もアーティストの本来あるべき自然な生活の事例として、私の心のなかに生き続けています。毎回、レジデンス期間が終わるたびに、私の心は満たされ落ち着きます。秋吉台国際芸術村を後にしたいま、これからもこの気持を持ち続け、私の人生を豊かにしたいと思います。

竹林のなかで<br>以上3点、撮影=アウラ・ヌカリ

竹林のなかで。以上3点、撮影=アウラ・ヌカリ

エピローグ:日本にささげる歌

大阪の空港から一歩外へ出ると
When I get out of the airport in Osaka,
柔らかないい香りの空気が私の胸を満たす
I fulfill my lungs with the soft and fragrant air
私の心と身体に安心感と安らぎが広がり.
A feeling of ease and comfort spreads into my body and mind.
ふるさとに帰ってきたと感じる
I feel as if I’m arriving home.

ヨーロッパに帰国する日、飛行機が滑走路を走り
When the airplane back to Europe is rolling into the runway,
窓の外をのぞくと3人の整備士達が
I look outside the window and see three aircraft mechanics,
離陸する飛行機に手を振り頭をさげた
bowing and waving to our departing plane.
彼らに、そして私を支えてくれた日本に、私は静かに感謝する
Silently I thank them and the whole Japan for taking care of me
何度も何度も、最後の一瞬まで「ありがとう!」
once more and till the last moment. ARIGATOU!

ヘイニ・ヌカリ
1972年フィンランド生まれ。パフォーマー、ヴォーカリスト、ヴォイス・トレーナー。アムステルダムのSchool for New Dance Developmentにてパフォーミング・アーツを研究し、学位を取得。1997年以降は活動の拠点をベルリンに移し、自身のパフォーミング作品のほか、アーティストとのコラボレーションやワークショップをとおして世界的な活躍する。日本とドイツでAIRプログラムを経験している。
www.whitedogballads.com
www.body-is-voice.com

推薦者のことば(事業担当者より)

塚田純子(秋吉台国際芸術村キュレーター)

秋吉台国際芸術村(AIAV)は、秘境のような山の奥に位置している。大衆文化が創出する「日本」のイメージ、カラフルな人々や街並を想像しながらやって来るアーティストは、荘厳な建築とそれを囲む大自然以外なにもないこの場所に、意表を突かれるだろう。
AIAVには、「サポート」★1と「フェロー」★2の二つのレジデンス・プログラムがある。フェローでは作品制作は必須ではないが、サポートでは滞在の最後に、展覧会や公演で成果発表を行なう。芸術作品を仕上げるのに70日はけっして十分とは言えないが、宇宙船のような特異な環境に放り出されたアーティストにとっては、滞在のスケジュールを組み、リサーチの焦点を絞る過程で、発表するという目的があることは、助けになるように思う。しかし、プログラムの目的が、作品発表というわけではない。

ヘイニ・ヌカリは、2007年に公募プログラムで選出され、初来日した。音楽の教育を受けたパフォーマンス・アーティストである彼女は、地元秋芳町の女性合唱団「いきいきレディース」から童謡を教わることからはじめ、次第に彼女たちと一緒に日本語で歌うようになった。
プログラムの応募者は、「地域をリサーチし、サイトスペシフィック作品を制作する」とアピールする傾向がある。リサーチの手法はさまざまだが、その多くは感覚的に感じたものや、資料や協力者から得た情報に基づくものだ。しかし、ヌカリは新鮮だった。異文化のなかに身を投じて、異なる言語で歌い、合唱団の一員となることを試みたのだ。リサーチの対象として接するのではなく、身体のなかに地域の生活文化を吸収した。彼女は、最初の滞在から5年経ったいまでも、合唱団と交流を続け、作品を発展させている。
見知らぬ土地で、また、限られた時間のなかで、サイトスペシフィック作品を完成させることも、リサーチをアートに昇華させるひとつの手段である。しかし、ヌカリのように、異文化を身体で覚えて帰ることは、一定の期間、異国に滞在できるレジデンス・アーティストの特権ではないかと思う。ここでしかできない「体験」を、今後アーティストとして活動するなかで、時間をかけて消化し、それが新たなアイディアのヒントやきっかけに繋がれば、本望というものだ。

AIAVにおけるレジデンスとは、あらゆる実験の場を提供することであり、短い滞在中に結果を求めるものではない。ここでの体験をステップに長期的な活躍をうながすという、運営側にも根気が必要なプログラムだと考えている。

★1──レジデンス・サポート・プログラム……40歳以下の若手アーティストを対象に国籍ジャンル不問で実施している公募のプログラム。選出された3名のアーティストが1月から3月の70日間滞在制作を行なう。
★2──レジデンス・フェロー・プログラム……選考委員、行政、教育、国際機関等からの推薦あるいは助成を受けたアーティストがリサーチ活動を行なう。また、再訪を希望する過去のレジデンス・アーティストを受け入れ、複数年にわたる長期的なリサーチを可能にする。滞在期間は最長1カ月。

[2012年3月31日]

参考:
AIR_J>SEARCH>秋吉台国際芸術村
AIR_J>RESOURCE>Book>『trails_小径:Little stories about Artist in Residence Program, AIAV』