アーティストがみる風景とはどういうものだろう。移動の道すがら、一人静かに考える夜、見知らぬ誰かとの出会い、探し求める問いを深める時間。街ごとに、アーティストごとに、新しい「旅」が生まれていくのかもしれない。そんな「旅路」の拠点になるのがアーティスト・イン・レジデンスです。レジデンスのある風景を訪ねてアーティストが旅します。
第2回はアーティストの長坂有希さんです。遭遇した土地・出来事の歴史や文化への丹念なリサーチに別の物語を重ねて独自の世界を作り上げる長坂さん。その制作の裏には、アーティスト・イン・レジデンスや旅を通した、人やモノ・コトとの出会いがあるようです。いくつかの作品を手掛かりに、北海道との出会いから新しい拠点香港へと続く旅について書いていただきました。
私にとって北海道、そして札幌市内にあるアーティスト・イン・レジデンシーのさっぽろ天神山アートスタジオとの本当の意味での出会いは2018年のことである。しかし、そこに至るまでには多少の経緯がある。
まず2013年、私はアメリカ、ドイツ、イギリスなどを拠点にして長年行なっていた海外での美術活動を一度畳み、日本に活動拠点を移すことにした。そして2014年に帰国後国内で初めての制作と展示の機会として、国際芸術センター青森(ACAC)が行うレジデンシーに参加し、そこで展覧会の視察にきていた小田井真美さん(さっぽろ天神山アートスタジオAIRディレクター)と出会った。その時、小田井さんはその年に新しくオープンしたレジデンシーの話をされていたが、まだ日本の美術事情に疎かった私にはなんのことなのかよく分からなかった。
それから少し時間がたった2016年、日本での生活や活動にも少しは慣れてきた頃、海外の最後の活動拠点だったロンドンで構想をしていた、あるライオンの彫刻をテーマにした作品のリサーチをする機会に恵まれて、初夏にロンドン、ギリシャ、トルコを旅してまわった。そしてその作品制作に集中するために、さっぽろ天神山アートスタジオに夏の約1ヶ月間滞在することにした。それは現実的には北海道に滞在しながら、空想的には作品の舞台である地中海ヨーロッパの古代と現代を行き来するという、とても不思議な体験だった。作業中に滞在スタジオの窓の外に広がる北の土地特有の太陽の光を浴びている青葉を眺めることや、日課にしていた散歩を通して札幌や北海道という土地がもつ雰囲気を感じとり、またいつかこの土地に戻ってきたい、そしてこの土地を舞台にして作品を作りたいと思った。
2018年の1月、その思いは実現し、私は3ヶ月間天神山アートスタジオに翻訳のバイトとして滞在することになった。そしてその滞在中に偶然訪れた知床半島での現地の人たちとの出会いや、カムイワッカ湯の滝に生息するという謎のイデユコゴメという藻との遭遇がきっかけとなり、北海道でリサーチや作品制作を行い、そしてその作品を札幌で展示する機会にも恵まれた。
ライオンの彫刻をテーマにした作品:
手で掴み形作ったものは、その途中で崩れ始めた。最後に痕跡は残るのだろうか。02_ライオン / 2016- 現在も進行中 / インスタレーション(映像&ドローイング)
知床半島を舞台にした作品:
カムイワッカへ、そして私たちの始まりへ / 2018 / インスタレーション(映像&彫刻 (ストロマトライト、イデユコゴメ、鉄板))服部浩之さんによる作品のレビュー(美術手帖)https://bijutsutecho.com/magazine/review/18955
私にとって天神山アートスタジオはとても気持ちのいい場所であり、またここに戻ってきたいと思わせてくれる場所だ。
まず建っている場所の雰囲気がいい。天神山アートスタジオは札幌の中心街から4、5駅はなれた、天神山緑地公園の中の小高い丘の上に立っている。建物は多くの樹々に囲まれていて、季節ごとに異なる一面を見せてくれるし、丘の上からは向かいにある藻岩山を見ることもできる。
この場所には縄文時代の遺跡があったらしく、縄文人たちはここでなんらかの儀式を行なっていたのかもしれない。アイヌの人たちはこの場所にチャシ(山の上に柵などを廻らせて作った大切な場所)を築いていたそうだ。また、本州からの入植者たちは、ここに福島県にある相馬神社の分社を作り、この相馬神社と樹齢300年を越える栗の大樹は今もアートスタジオの横に佇んでいる。周りが見渡せる小高い丘、そしてこの場所が持っている雰囲気は時代を越えて人々を引きつけてきたのだろうし、現代に生きている私たちもその雰囲気にひかれてこの場所に何度も戻ってくるのだろう。
そして天神山アートスタジオに関わる人たちがこの場所の雰囲気をよくしている。レジデンシーを運営しているスタッフには、長年北海道でアートプロジェクトに関わってきた経験豊かで、道内のアートや文化、歴史や地理、そして多岐に渡る人脈に精通している方々がいることはもちろんだが、必ずしもアートに興味があるわけではなく、道民としての率直な意見を聞かせてくれる方々がいることも大きな魅力だと私は思っている。彼らは国内外からやってくる作家に対しても、周辺に住んでいてアートスタジオに遊びにくる子供や老人に対しても分け隔てなく同じように接する。この作家だからと言って特別扱いをするのではなく、一人の人間として知り合い、対話ができることはとても貴重なことだと思う。
また天神山アートスタジオには、招聘された作家が滞在制作を行う枠と、札幌や北海道でなにかしたいことがある作家が3ヶ月まで自費(とても安い滞在費)で滞在できる枠があり、多種多様の文化背景、年齢、活動歴をもつ作家たちが滞在している。そんな作家たちと共同キッチンで料理をしながら気軽に話したりできるところも、フラットで心地よい雰囲気を作り出している要因だと思う。
2018年の10月、札幌市内にあるギャラリー現代美術研究所CAI02で知床半島を舞台に制作した作品の展覧会が終わり一息ついた時、次は制作途中になっていたライオンの作品を仕上げたい、そして道東の町である斜里でその作業をしたいと思った。というのも前回の作品のリサーチで斜里を訪問した際に私立の「北のアルプ博物館」で館長(当時)の山崎猛さんとした会話が強く印象に残っていたからだ。
山崎さんは博物館の館長でありながら写真家としても活動されていて、全国の灯台をまわり写真を撮り、写真集を出版されているぐらい無類の灯台好きである。その時も初対面の私に灯台の話をしてくださった。そして、お返しに私がライオンの作品について話すと(灯台が発明される前の紀元前の地中海世界では、このライオンの彫刻が周辺の海を航海する船乗りたちにとって灯台のような役割をしていたのではないかという考え)、とても喜んでくれた。
ライオンの作品を斜里で、また山崎さんの近くで制作したいという漠然とした思いを、前回の作品制作でも全面的に協力をしてくれた中山芳子さん(シリエトクノート編集部)に相談してみると、山崎さんご夫婦に掛け合ってくれて、北のアルプ博物館の裏手にある山崎さんが所有している一軒家を即席のマイクロ・レジデンシーにして滞在させてもらえることになった。
そんな流れで秋から冬へとどんどん様子が変わっていく約2ヶ月間、斜里で滞在制作を行った。本州、しかも大阪のような都市から来ると、冬場の斜里はどこか日本ではないところにいるような感覚を起こさせた。町の中にも空き地空間がたくさんあったり、道がどこか途中で途切れていたり、人間の生活や活動が土地を完全に覆い尽くしていないという感覚で、それは見慣れない風景であると同時に、その広がりが心地よくもあった。私は斜里でもほぼ毎日散歩をした。凍りついた道を滑りそうになりながら町を歩いたり、海岸や原生花園などにも散歩に行った。想像はしていたが、冬の斜里での滞在制作は孤独な時間でもあり、そんな中で山崎さんご夫婦がとても暖かく接してくれて、よく夕食に呼んでくださったことはとてもありがたかった。私たちは薪暖炉がある暖かく心地よい山崎さんの家で夕食を食べたりお酒を呑みながら、芸術や文化、世界情勢や政治、環境、人生のことなど色々な話をした。
そして滞在の最後には、山崎さんご夫妻と中山さんの計らいで北のアルプ博物館で山崎館長による博物館ツアーと私のライオンの作品のトーク・パフォーマンスを合わせたイベントを開催することになった。イベントはクリスマスだったにも関わらず、斜里、そして遠方からもたくさんの方々が来てくれてとても和やかな会になった。年齢も職業も異なる人たちが熱心にトークに耳を傾けてくれ、たくさんのコメントや意見交換が行われた。これまでの美術活動で少なからずトークをしてきたが、北のアルプ博物館でのトークは今でもとても印象的で、あの時間を山崎さんを始め、来てくれたお客さんたちと一緒に過ごせたことは私の大切な財産だと思っている。
2019年に入っても500m美術館をはじめ札幌で開催される展覧会に声をかけてもらうことが幾度となくあり、北海道とのつながりはさらに深まっていった。繰り返し北海道を訪問するうちに、私の中でももっと北海道とじっくり向き合いながら作品制作をしたいという気持ちが大きくなっていった。
そんな折、京都での仕事を通して香港を拠点に活動をしているアーティストであり大学教授のジェン・ボーさんと出会った。彼の京都でのリサーチの通訳をするなかで、彼が東洋哲学や思想の視点から植物やエコロジーについて考え、多岐にわたる活動をしていること、また彼の研究室の博士研究生たちは各々の視点からエコロジーについての研究や活動をしていることを知った。彼らの考え方や活動が私のものと重なる部分があるように感じ、香港で彼の研究室に所属しながら、北海道をリサーチ・フィールドとして、研究・制作活動をしてみようかなと考え始めた。
そして2020年の9月、人権デモの跡形はまったくなく不思議な静けさにつつまれた、パンデミック最中の香港で博士課程研究を始めた。私が所属している研究室はWanwu Practice Group(萬物・万物、つまり宇宙に存在しているすべてのもの(生き物たち)という意味)といい、教授であるボーさんをはじめ7人の様々な文化背景をもつアーティストや活動家、キュレターや美術史研究者が意見交換をしながら、それぞれの研究活動を進めている。私にとっては2013年以来7年振りにまた海外に活動拠点を持つことになった。しかし、今回の移動は日本から離れるのではなく、日本、そして北海道とじっくり向き合うために少し離れた場所にもう一つの拠点、視点をもつための移動だと思っている。
私は今、北海道と出会った3年前には全く想像しようもなかった場所・状況にいる。そしていつの間にか北海道は、私にとってなくてはならない土地、リサーチ・フィールドであり自分にとっての居場所になっていた。これからの4年間、独特な地形、気候、生物相、文化と歴史をもつ北海道で時間を過ごし、そこでどのように人間を含む様々な生き物たちが関わり合いながら生きているのかについてのプロジェクトを進めていきたい。そしてその活動を通して、これからも素敵な人々や多種の生き物たち、場所、出来事と遭遇することを切に願っている。
500m美術館で発表した作品:
Geochronostromatopio / 2019 / インスタレーション(大型ポスター、北海道産出の橄欖岩)/ 奥野正次郎の共同制作
長坂 有希(ながさか あき)
1980年大阪府生まれ。テキサス州立大学芸術学部卒業、国立造形美術大学シュテーデルシューレ・フランクフルト修了。2012年文化庁新進芸術家海外研修制度によりロンドンに滞在。2020年より香港城市大学クリエイティヴ・メディア学科博士課程に在籍。リサーチとストーリーテリングを制作の主軸とし、遭遇した事象の文化的、歴史的、または科学的な意義や背景の理解と、作者の記憶や体験が混じりあう点に浮かび上がるものを、様々な媒体をつかい表現している。主な展覧会に「Time of Crisis」(ボローニャ近代美術館MAMbo、2021年(予定))、「ARTS&ROUTES – あわいをたどる旅 – 」(秋田県立近代美術館、2020年)、「Quatro Elementos」(ポルト市立美術館、2017年)「マテリアルとメカニズム」(国際芸術センター青森、2014年)、「Signs Taken in Wonder」(オーストリア応用美術・現代美術館MAK、2013年)など。
https://www.akinagasaka.net/
2024.8.5ヨーロッパでのアーティスト・イン・レジデンスの舵取りの仕方
2024.7.19アーカイブ:AIR@EU開設記念 オンライン連続講座「ヨーロッパでのアーティストの滞在制作・仕事・生活」
2024.6.12Acasă la Hundorf 滞在記 アーティスト:三宅珠子
2023.7.5京都市内の滞在制作型文化芸術活動に関するアンケート調査〔報告〕