日沼禎子(公立大学法人青森公立大学国際芸術センター青森 学芸員)
青森市雲谷(もや)の丘陵地。赤松の林に囲まれて国際芸術センター青森(ACAC)が佇む。滞在、創作、発表のそれぞれの活動を受け止めるため、大小2つのギャラリーを備えた展示棟。木工、版画、その他の制作を行なう創作棟。長期滞在のための宿泊棟。安藤忠雄設計による3つの分棟による建築が、周囲の自然環境に溶け込むように存在している。人口30万の町としては世界の中でも最も豪雪地帯である青森市。長く厳しい冬を乗り越え、春はあらゆる草花が一斉に芽吹き、花開く。短い夏が終わると周囲は赤や黄に色付き、足早に秋が過ぎるとまた、冬が訪れる。そうした四季折々の自然の表情とともにアートが息づく場所。都市では体験できない豊かさがここにはある。
ACACは青森市市政100周年記念施設として2001年12月に開館。アーティスト・イン・レジデンス(AIR)を中心プログラムに据え、滞在制作による展覧会、ワークショップ、レクチャー等を通して創造的活動をアーティスト、市民とともに共有し、国際性と地域性の双方の視点をもちながら新たな芸術拠点の場を生成することを目的としている。設立にあたってはAIRという国内でも前例の少ない事業を推進するために、準備室の段階からその舵取り役としてアーティストである浜田剛爾(はまだごーじ)をディレクターとして起用。内外でのAIR経験と知識が豊富なこともさることながら、表現者の目線からプログラム推進、建築の設計計画に参画したことにおいては、文化行政としても異例の先鋭的な取り組みであったといえよう。さらに、近年における行政と市民との協働・社会参画という時代の流れに沿い、芸術を軸にした市民活動の場として機能させることもACACが目指す目標のひとつでもあった。そこで、開館前のプレ・イベント開催(2000年)において、青森県のNPO第一号であった「あおもりNPOサポートセンター」へ事業委託し、本格的な協働への道を一歩踏み出した。そして、翌年のACAC開館時には、プレ・イベントに参画したボランティアの中心メンバーが、「AIRS」を結成。現在も、滞在中のアーティストのへのさまざまな支援活動を主体的に行なっている。
ACACのAIRでは、春と秋の各3カ月間の招へいプログラムがある。前者は推薦型、後者は公募制をとっており、いずれも展覧会および市民とのさまざまな交流事業を開催している。その他のプログラムでは、夏休みの時期に合わせ家族で楽しめるような企画展やワークショップ、版画やダンスを専門的に学ぶための冬の芸術講座など多彩な事業を展開してきた。特に主要な事業であるAIRにおいては、環境、建築、あるいは歴史や風土などのさまざまな要素との関係性を切り結び、読み解きながら、現代芸術という自身の表現に置き換え提示する。他方、市民は、新たな表現や思想に触れ、地域の豊かさを再発見する。社会活動への積極的参加を促すのみならず、アーティストを生活者として自らの社会に受け入れることによるホスピタリティーの向上など、住民一人ひとりの自治力、つまり生きる力へと繋がることが期待される。アーティスト・イン・レジデンスという、ひとつの社会の循環ともいうべきプログラムを通したアーティストと地域との垣根を越えた関係性のあり方は、さまざまな可能性を秘めた場をつくり始めているといえよう。
滞在アーティストたちは、それぞれに個性的かつ豊かな作品を制作している。パラモデル★1は、代表的な仕事であるプラレールを使ったインスタレーションの舞台として、縄文後期の巨大な環状列石「小牧野遺跡」をサイトスペシフィックに捉えた作品を制作。
東島毅★2は、馬蹄形のギャラリーAに幅20mもの巨大なペインティングを設置。絵画と建築との関係を読み解くための、鮮烈な空間を提示した。
辻けい★3は、八甲田の水源や雪原をフィールドワークしながら、自らの身体を、流れる水と赤い糸に委ね、自然の亜種である人間の存在を明らかにしようとした。遠藤利克★4は「供犠と空洞」をテーマに縄文のエネルギーを表出させる。
ほかにも枚挙に暇が無いほど多くの優れた作品が生み出されたが、いずれも青森に深く根ざすエネルギーが磁場となりアーティストたちを魅了し、そしてまた私たちはその表現力に感動と共感を寄せてきた。
さて、このように、いくつもの人、事物が鎖のように繋がりながら有機的な活動を続けてきたACACであるが、8年目を迎えた 2009年、新たな転機を迎えた。隣接する青森公立大学の公立大学法人化にともない、ACACは青森市直轄から同法人の運営へと移管され「公立大学法人青森公立大学 国際芸術センター青森」と正式名称が変更となった。設立当初から、大学との連携が基本構想に盛り込まれ、将来構想の計画のひとつとされていた。青森公立大学は、経営経済を学ぶ機関である。つまり、今後、経済と芸術とが両輪で歩む組織となるということだ。これまでと同様にアーティスト・イン・レジデンス・プログラムを主軸にしながら、芸術を通した地域貢献、さらには高等教育機関としての人材育成という新たな課題に取り組むこととなるだろう。これまで積み上げてきた蓄積を、地域の財産として活かしていくための、新たなステップを踏み出そうとしている。
★1── 2001年に活動を開始した、林泰彦(1971年東大阪市生まれ)と中野裕介(1976年東大阪市生まれ)によるユニット。2003年よりユニット名をパラモデルとして、「極楽模型」制作をテーマに、アニメーション・絵画・立体・写真・インスタレーションなど、様々な表現手法やメディアで作品を制作。代表的な作品として、プラレールを使ったインスタレーションは巨大敷地内に迷路やドローイングにも似た不思議な世界を制作。主な展覧会に2007年「美術館のなつやすみ パラモデル」高知県立美術館、「美麗新世界:当代日本視覚文化 Beautiful New World: Contemporary Visual Culture from Japan」(国際交流基金)長征空間/北京、広東美術館/広州、中国、他多数。
★2──1960年、佐賀県生まれ、岡山県在住。86年、筑波大学大学院修士課程芸術研究科美術(絵画)専攻修了。88-90年、ロイヤル・カレッジ・オブ・アート[ロンドン]美術学部絵画専攻在籍。90-97年ニューヨークにて制作活動。見るものを圧倒するような大画面の上に、濃紺を基調とした静謐な色彩を描く。絵画ならではの豊かさを追求する作品で高く評価され、VOCA賞(96年)、五島記念文化賞美術部門新人賞(96年)など、現代日本を代表する画家として活動している。
★3── 1953年、東京生まれ。82年より染めと織りを主体に‘夢中遊行’と題する空間的作品を制作。86年より自ら染織した糸や布を用いて、オーストラリアの砂漠やカナダの森、スコットランド島の水辺にてフィールドワーク・インスタレーションを行なう。主な展覧会に、89年PICA/パース・インスティテュート・オブ・コンテンポラリー・アーツ(オーストラリア)、98-99年、サントリー美術館賞展98年「挑むかたち」(東京)、2001年、岩手県立美術館・開館記念展「辻けいの仕事」(盛岡)、他多数。
★4──1950年岐阜に生まれる。戦後日本美術を代表する彫刻家。70年代から活動をはじめ、その作品は、火や水、大地や太陽といった素材を扱いながら、一貫して世界と人間(あるいは芸術)との原初的/神話的/無意識的な関係に目を向け、精神と衝動の深淵に対峙する。「ドクメンタ8」、カッセル(87年)、「第 48回ヴェネチア・ビエンナーレ」(90年)、「戦後日本の前衛美術」、横浜美術館・グッゲンハイム美術館ほか(94年)、「現代美術への視点——連続と侵犯」、東京国立近代美術館(02年)ほか国内外の展覧会、野外彫刻展、国際展など多数参加。
[2009年9月1日]
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