AIRと私 04:河童、ディレクター、プログラム制作者、その他の生き物について


マックス=フィリップ・アッシェンブレンナー(ドラマトゥルク)

「地球上のある地点まで最大の距離を保てるのは、その場所を離れる瞬間である。なぜならその場所から進むどの一歩も、再びあなたをその場所へと近づけるから」。フランスの作家で、哲学者でもあるヴィクトル・セガレンは1903年に東アジアとポリネシアを旅行していたときに、この空想的な考えを語っている。セガレンは「エキゾチシズムの周旋人(proxénètes de l’exotisme)」にならずに異なるものを経験することを目的とした最初のヨーロッパ人であると考えられる。この引用句の翻訳において見えなくなっている小さいが重要な違いは、ドイツ語の「erfahren」には「経験する」という意味だけでなく、文字通りの意味で「あちこち移動する」という意味もあるということである。

マックス=フィリップ・アッシェンブレンナー氏

マックス=フィリップ・アッシェンブレンナー氏

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『アーカスプロジェクト10周年記念誌』



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『地域創造』2010 Spring, Vol.27



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『ようこそレジデンスへ。──トーキョーワンダーサイト クリエーター・イン・レジデンス 2006-2010』



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『Magazine for Document & Critic:AC2[エー・シー・ドゥー]』No.12



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AIRと私 03:青森の静かな思いやり


サンヒ・ソン(アーティスト)

現在、私はアムステルダムに在住し、働いています。ここアムステルダムで、冷たい空気に包まれ、カラスの鳴き声を遠くに聞くとき、私は青森の森へと思いを馳せます。国際芸術センター青森(ACAC)のレジデンシー・スタジオを背にして、森へと歩くと、深い森の香りのなかに枯葉を踏む私の足音が響きました。私がACACのアーティスト・イン・レジデンス・プログラムに滞在した3カ月間で平和と安心を見出したのは、この森と空でした。
アーティストとして生きるということ、それはすなわち、心のなかになにか居心地の悪さや刺々しさを抱えて生きるということです。足元が歪み揺れているような感覚に襲われ、不安と困惑とぎこちなさといった感情と、つねに向き合っています。しかし、このような感覚を経験するとき、私の眼には多くのことが映り、私の心に傷を残すのです。美術家のバーバラ・クルーガーがかつて、著書『Your body is a battleground』に記したように、アーティストとしての私は、まるで戦場にいるかのようです。心に残された傷が熱くなり、答えのない苦しい時間と戦うのです。唯一の答えは、芸術作品に没頭すること(黙って作品をつくればいいんです:))、または、どこか創作のできるところへ行くしかないのです。その場所が、私にとっては青森でした。

サンヒ・ソンによるACACでのインスタレーション
©Tadasu Yamamoto

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AIRと私 02:秋吉台国際芸術村で学んだことと創作活動


ヘイニ・ヌカリ(パフォーマー)

2007年、私は秋吉台国際芸術村(AIAV)のアーティスト・イン・レジデンス・プログラム「trans_2006-2007」へ招へいされました。日本へ行くのは初めてであり、私は新天地で過ごす70日間をたいへん楽しみにしていました。2007年は、さまざまな国から来た3人のアーティストたちとともに、各自プロジェクトに取り組み、その後も、2008年、2010年、2011年にフェロー・アーティストとしてAIAVに戻りました。レジデンス・プログラムの経験を通じて出会った日本文化や自然、そして日本の人々が、私の創作活動における貴重かつ持続的な、インスピレーションの源泉となっています。
私の作品制作では、動くものや声、そして音を使います。また、作曲や振り付けを考えたり、楽器の演奏もします。人の身体の可能性や、その世界や自然および人間との関わりを探ることが、私の仕事です。すなわち、外国へ行き、異文化のなかで時を過ごすことそのものが、自分の作品にとって重要な一部なのです。私は、人間の身体表現の可能性を探るなかで、地理的・文化的な背景も探究しています。人と環境との関わり合いが、いかに私たちの表現方法の創造性に影響するかに高い関心を寄せているのです。また、アートを経験し創造することは、世界のすべての人々の幸せに寄与することだと信じています。

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アーティスト・イン・レジデンスの現在 12
AIR 3331──日本からアジアへ、グローバルへ、そしてローカル・ネットワークへ


太田エマ(3331 Arts Chiyoda)

アートの取り組みにおける新しいモデルを目指して

東京・秋葉原に拠点を置くアーツ千代田3331 (3331 Arts Chiyoda)は、2010年に誕生した独立系のイニシアティヴであり、その目的は、既存のギャラリーやミュージアムの枠を超えて、市民や地域と芸術的表現の可能性をこれまでにないかたちで結びつけるような、新しいアート活動モデルを支援しようというものです。3331は古い学校の校舎に拠点を置き、クリエイティヴな活動に対して独自のアプローチをとっています。この施設は4つのフロアで構成され、展示スペースやワークショップ施設、会議室、芸術団体の事務所、専用ギャラリー、カフェ、ラウンジ、屋上スペース、スポーツ設備を提供しています。このユニークな取り組みは、あらゆる世代のさまざまな職業と関心を持つ人々がアートの多様な分野に参加できるような、開かれたものになっています。また、障害を持つ人や子どもたち、地域住民、学生、専門家、アートに関心を持つ人など、すべての人が楽しめるように、3331は多様なプログラムを提供しています。

アーツ千代田3331の外観


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アーティスト・イン・レジデンスの現在 11
アーティスト・イン・レジデンスの世界ネットワーク「Res Artis」第12回総会報告


村田達彦(遊工房アートスペース 共同代表)

2010年10月、アーティスト・イン・レジデンスの世界ネットワークRes Artis★1の総会がカナダ・ケベック州のモントリオールで開催された。今回は、Res Artis総会の第12回目にあたり、10月6日(水)から10日(日)までの5日間にわたり、「The Americas: Independent Artistic Practices in the Era of Globalization」をテーマに、多様なAIR活動の紹介や議論、さらに、ラテンアメリカを含む米州大陸に焦点を当てたホットな話題が取り上げられた。
今回、Res Artisの総会を招へいしたのはRCAAQ(Regroupement des centres d’artistes autogeres du Quebec)で、ケベックに拠点を置くカナダ全土のアーティスト主導のアートスペース活動支援団体であるが、もともとカナダにはアーティスト・ランの団体が数多くあり、活発に活動を行なっており、同団体もそのひとつである。
開催地であるモントリオールは、トロントに次いでカナダ第2の都市で人口は約370万で、住民の3分の2がフランス語を第1言語としている。現在、日本でも公演を行なっているシルク・ドゥ・ソレイユの拠点もあり、文化的にはカナダをリードする都市として名高い。
また、会場は、Musee Juste pour Rire(英語で、the Just for Lughs Musuem)を中心として開催されたが、この会場も名前のとおり、世界で唯一の笑いとユーモアの博物館ということで、なかなかおもしろい選択であった。
前置きが長くなったが、総会は、Res Artis会長Mario Caroと本大会実行委員長Bastien Gilbert(RCAAQ代表)のもと、参加者同士の相互理解と活発な意見交換や交流が行なわれた。参加者は、世界20カ国、180名以上が集まった。その多くは北アメリカからで、次に多いのがヨーロッパからの参加者であった。アジアからは、日本から、トーキョーワンダーサイト遊工房アートスペースの2団体、韓国から3団体が参加したのみであった。
次回総会は、2012年、日本で開催することが決定した(事務局は、トーキョーワンダーサイト)ので、多くのアジアのAIR団体が参加することが期待される。

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アーティスト・イン・レジデンスの現在 10
セラミック・ワンダーランド──産地におけるアーティスト・イン・レジデンス「財団法人滋賀県立陶芸の森」


杉山道夫(財団法人滋賀県立陶芸の森 創作研修課長心得)

ご存じのように、アーティスト・イン・レジデンスというのは、日本固有のシステムではありません。欧米から入ってきた、芸術サポートの形態のひとつだと私は認識しています。ウィキペディアで検索するとアメリカで1900年ころには、レジデンスといえる活動があったと記されています。

アーティスト・イン・レジデンスの原型

私が勤める滋賀県立陶芸の森では、元々外国で生まれたアーティスト・イン・レジデンスを、やきものという限られた分野で実施してから18年ほどになります。計画を始めたのは、いまから20年ほど前ですが、当時は、「アーティスト・イン・レジデンス」と呼ばずに「滞在型共同工房」と表現していました。呼称については、紆余曲折がありましたが、現在では「アーティスト・イン・レジデンス」という言葉は定着した感があります。
しかし、やきもの産地という若干特殊な環境のなかでは、広義の意味でのアーティスト・イン・レジデンスは、じつは昭和のなかごろからあったのです。
ここ信楽では、昔は、けっこう京都から陶芸家が焼き屋(メーカー)に出入りしていたといいます。焼き屋さんで花器の原型をつくるかわりに窯を使って自分の仕事をさせてもらうということがあったらしい。焼き屋と陶芸家が、非常にゆるやかなシステムできちんと結びついていました。これは、やきものにおけるアーティスト・イン・レジデンスの原型といえるのではないでしょうか。

滋賀県立陶芸の森、外観

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